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育徳館開校250周年記念企画
「郡長正公のふるさと会津と直江兼続のゆかりの地米沢の旅」
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郡長正公墓参道中記
10月4日(日)〜10月6日(火)
関西錦陵会 49年卒 大松十四彦

  今年5月同期の西村氏から北九州錦陵会に参加したとき郡長正公の墓参の企画があるので参加しないかと誘いがありました。郡長正公と言えば学校に石碑があり、会津から豊津に勉強に来ていて食べ物のことが原因で切腹をしたぐらいしか記憶にありませんでした。今では考えられないがその当時はそんな人も居たのだなと思っていました。今回この様な企画が持ちあがり、せっかく誘われたのだから今まで会津に行ったこともないし今年NHK大河ドラマ天地人のゆかりの地でもありますので一度見てみたいと思い参加しました。

参加者は
参加者のみなさん↓

九州から14名
東京から2名
関西から1名
計17名の旅でした。
また、参加年度は
33年卒3名 42年卒1名
36年卒8名 47年卒1名
40年卒1名 49年卒3名

  36年卒の方は加来さんが幹事をしている為か8名も参加していました。

  東京駅で集合しバスで会津に向かいました。同窓生といっても会ったことのあるのは同級生の2人だけで後は皆先輩でした、バスの中で各自自己紹介をしました。そのときはまだ硬い雰囲気でしたが昼食から夜の懇親会になると皆さんだんだん打ち解けて会話が弾むようになりました。

大内宿↓
  最初に行ったのは大内宿で江戸時代の宿場町が保存されている所でした。山の中にその一角だけ昔の町並みがありましたがほとんどの家が土産物屋さんでした。中に蕎麦屋さんがあり箸を使わずにねぎを使って食べる(名物)ところがあり、何人かは食べていました。私も食べようかなと思いましたが昼食の後でもありバスでの移動でしたから腹がすいておらず食べませんでしたが地元の酒屋さんが新酒の試飲をしていましたので、それはいただきました。
米どころのせいかおいしかったです。
懇親会↓
  1日目はこれだけで宿へ向かいました。宿は会津芦ノ牧温泉の大川荘。この宿は川沿いに建っており部屋からの景色はすごくよかったのですが、10月はじめでしたので紅葉が見られなかったのが残念でした。風呂に入り18時くらいから懇親会にはいるとお酒のせいか最初の緊張がなくなって行きました。懇親会の後、皆さん加来さんの部屋に集まり2次会を始めました。このころは皆さん打ち解けていますので、地元の方言の話、くどき(盆踊り)を歌ったり大変楽しい時間をすごしました。しかし諸先輩方はお酒が強い。年はだいぶ上なのにびっくりするほど飲んで遅くまで起きておられました。又この日42年卒の佐村さんのお姉さんがこちらに住んでいるとのことで、会いに着ておられました。福島県に嫁に来るというのは兄弟に会うのも大変だと感じました。

郡長正公墓前↓
  2日目、今日がこの旅のメインです。最初に長正公のお墓のある天寧寺に行きました。ここに入る道は狭くマイクロバスがよく駐車場まで来たなと思うような道でした。後で聞くと運転手さんも初めてで入ってきたが少し心配であったみたいな事をいっていました。
お寺の方に案内されてお墓に向かいましたが、お墓に行く道や周辺には豊津の方が来るのか石碑や植樹が多々ありました。

館長さんと懇親会↓
お墓は萱野家の管理でその中に郡長正公の墓、父親の萱野権兵衛の墓がありました。このお墓に皆さんおまいりするので聞いてみると長正公の父親で、主君の罪をきて切腹をされた方でした。白虎隊にしろこの親子にしろ会津独特の気風を感じました。
  この後会津武家屋敷の見学をしましたがそこの館長さんから豊津との関わりを聞きました。この方は豊津の生徒が来るものと思っていたらしく豊津のものですと言うと生徒さんはどこですかと訪ねられたそうです。
又館長さんのお口添えでお土産は、錦陵会といえばいくらか負けてもらえました。

  次は鶴ヶ城の見学です。この城は戊辰戦争のとき官軍に負けた時に焼けて再建されたお城でした。白虎隊の歌に出てくる鶴ヶ城はこの城かと思いつつ見学しました。ここには直江兼次もいたらしく兼続に関する展示が多くありました。

鶴ヶ城↓

剣舞↓


  ここで昼食をとり白虎隊が自刃した飯盛山に向かいました。飯盛山でガイドさんの説明をきいていたとき他の見学者が白虎隊の剣舞を頼んでいたらしく一緒に見学させてもらいました。

  この日の最後は会津藩校日新館(郡長正記念館)を見学。ここで、郡長正公の事、会津藩幼年者への什の掟を聞き会津藩の精神を感じました。
什の掟
1. 年上者の言うことにそむいてはなりませぬ。
2. 年上者には御辞儀をしなければなりませぬ。
3. 嘘言を言うことはなりません。
4. 卑怯な振舞をしてはなりませぬ。
5. 弱い者をいじめてはなりませぬ。
6. 戸外で物を食べてはなりませぬ。
7. 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。
ならぬものはならぬものです。
現在忘れられていることが多くあるように思います。

いきかえりの宿↓
  2日目の見学はこれで終わり宿の赤湯温泉にむかいました。
1日目の宿は鉄筋コンクリート造りで観光地によくある宿でしたが、ここは少し変わっていて昔の民家・学校の廃屋を使って宿にしていて民宿風な感じがしました(いきかえりの宿と言うそうです)。
食事は、食材のよいものを使っているようで見た目は前日と変わりませんが結構おいしかったです。又宴会場は三階でしたが広い室内で木造なのに柱がないのに驚きました。

部屋での2次会↓
  この日の晩も食事の後1部屋に集まり2次会です。前日よりもっと打ち解けて楽しい時間をすごしました。朝食には餅が出ました。その場でついた餅をいろんな食べ方にして出していました。
おいしかったのですが朝から餅は少々こたえました。
  この地方は餅が一般的なのか前日の宿でも夜餅つきをして宿泊客に配っていました。

朝から餅つき↓


直江兼続夫妻の墓↓
  3日目今日でいよいよ最後、米沢で上杉神社、上杉博物館を見学しました。今年は天地人の放映の影響で直江兼続に関するコーナーが多くありましたが、ここでは上杉鷹山の展示物も多くあり米沢の人にとっては大切な人のようです。
  その後林泉寺に行き直江兼続のお墓を見学しました。直江兼続、妻のお船の墓が並んでありました。この時代にしては珍しく思いました。それだけお船の地位が高かったのかもしれません。

上杉家廟所↓
  最後に上杉家の廟所では謙信から明治までの上杉家の当主の墓を見学しました。ガイドさんの話では上杉謙信の墓は米沢城にあったものを後で持ってきたもので廟所への入り口の道は、今は廟所真ん中にある謙信の墓に向かっていますが、もともとは上杉景勝の墓に向かって作られていたそうです。だから謙信の墓から見ると九の字に曲がっています。墓にもその時代の上杉家の経済状態が現れており、やはり景勝時代はよい材料を使っているとの事でした。

  ここで3日間の旅は終わり、帰途につきました。昼前に米沢を出て4時くらいに東京駅につき皆さんと別れました。運転手さんは飛行機の時間に間に合わそうと大変そうでした。
又ガイドさんは、ベテランの方でよく観光地のことを知っていました。さすがに郡長正公のことは知りませんでしたが福島県のこともよく勉強しておりよいガイドさんでした。

  三日間雨にも会わずよい旅ができました。企画された加来さんご苦労様でした。又旅の世話をしてくれた西村君ありがとうございました。それと、楽しい思い出をくれた品川君、諸先輩方ありがとうございました。又何かの企画があれば声をかけてください。


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