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関西錦陵エッセイ


私の音楽遍歴

昭和41年卒 古賀 大生

  私は小さな頃から余り友達とは戯れず、一人で庭の外れの桜の老木に登り、日がな一日流れる雲を眺めていたり、裏の畑の際を流れる小川に入ってザルで鮒や泥鰌を追っかけまわしたりと、一人で遊ぶのが好きであったと、今は亡き母からよく聞かされた。

  物心ついた頃、家にはハンドル付きの卓上型蓄音機があった。両親が教師であったためでもあろうか、ドーナツ盤の文部省唱歌の全集(といっても、10枚程度)も揃っていて、雨の日などは一日中蓄音機の前に座り込んで聴いていた記憶がかすかに残っている。もちろん、その当時の私には針を交換する事など頭になく、レコード盤が擦り切れてノイズだらけになった事は言うまでもない。

  5年前に102才で大往生した祖母には、初孫だということもあって大変可愛がってもらった。
祖母は、家は禅宗であったにも拘らず“お大師さん”の熱烈なファンで、春休みなどには小学校低学年の私の手をひいて篠栗町の西国88ヶ所巡りに連れて行ったものである。白装束で金剛杖を持ち、「ナームダイシー、ヘンジョーコンゴー」と唱えながら奥の院を目指して、山超え谷超え、のどかな春霞の中を、懸命に祖母の背中を追っかけていった記憶を今でも鮮明に覚えている。そのお陰で、僕の守り神はいまだに弘法大師だそうである。
  小さな子の退屈さを紛らすようにと、祖母も一生懸命工夫を凝らしたと見えて、当時初めて発売されたトランジスタラジオを貸してくれた。人間の声や音楽が聞こえてくる小さな箱は、小さな私にとってはとてつもない宝物であった。

  当時は板付や芦屋に米軍基地が残っており、そこから流れてくる米軍放送といえば、プレスリーやポール・アンカ、ニール・セダカといった今で言うなら超アイドル歌手のロックン・ロールであった。日本のその時代の流行歌といえば、春日八郎や島倉千代子などが全盛で、三橋美智也がやっとデビューしたくらいであったと記憶しているが・・・
  演歌の暗いイメージとは懸け離れた、やたら明るく軽快な音楽に幼心は完全に虜になってしまい、それ以来アメリカン・ポップスの世界にのめり込む事になる。コニー・フランシス、デル・シャノン、ヘレン・シャピロ、リッキー・ネルソン等等、今でも自分で編集したヒット・パレードを時折カー・ステレオで楽しんでいる。(家のオーディオは、子供が占領して使えない。)

  時代が変わり中学校の高学年になると、“デケデケデケ♪”で一世を風靡したベンチャーズに憧れ、ウクレレで“ペコペコポコ♪”と真似て楽しんだり、“風に吹かれて”や“500マイル”、“花はどこへ行った”などブラザーズ・フォーやピータ・ポール&マリーのフォーク・ソング(プロテスト・ソング)を弾き語りしたくて安物のフォーク・ギターを買い込んだ。
  高校2年生の頃だと思うが、それまでは穏やかな心地よい旋律に浸っていた音楽界に“プリーズ・プリーズ・ミー”や“抱きしめたい(I Wanna’Hold Youre Hand)”のとんでもないシャウト・ミュージックが突然出現した。いわずと知れた、ビートルズである。

  その当時は『うるさい奴等やなぁ』と毛嫌いし、相変わらずフォーク・ソングに浸っていた私であったが、大学に進学し、また違う目で世の中を見れるようになった頃、自分の世界観を変えるビートルズの一枚のアルバムが発売された。“サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド”という長いタイトルのLPレコードである。私の心のどの部分に影響したかを話し出すと、とても紙面が足りないので止めにしたいが、とにかくこのアルバムを境にして、ビートルズは私の生涯の友になっていった。

社会に出て20有余年、ハード・ロックにジャズやクラシック(カラオケでは勿論ド演歌)、ジャンルを超え多くの曲に巡り合った。この数年では、セリーヌ・ディオンやエリック・クラプトンなどとも親交を深めてきた。しかし、何年かごとにいつの間にか、またビートルズに戻っている自分の姿に気がつく。

  7年前に、仕事でイギリス中部のセント・ヘレンズという小さな町に出張する機会があった。地図を調べると、その町から車で1時間くらいの距離にリバプールがあることが分った。ご存知のように、ビートルズの本拠地である。同行する他の連中には悟られないようにしたが、私の心は天に昇ったように舞い上がった。
『夢にまで見たリバプールに行ける。しかも会社の金で。』
それだけでよかった。仕事など二の次、三の次ぎ、もうどうでも良かった。(会社には悪いが・・)
  幸いにも、向こうでのスケジュール調整は、全て私に任されていた。イギリスに4泊した間に、仕事をしたのはせいぜい半日。残りはリバプール視察(観光ではなく視察である、念のため)とロンドンの現代建築視察に費やした。(私は、建設会社に勤務している。)

  リバプールは想像通りの町であった。煉瓦と石とテラコッタとで延々と修復しながら、何百年も守り継がれてきた町並み。一歩市街地を離れると、小さな煉瓦造りの家々、全ての家の屋根には煙突が連なり、今にもメリー・ポピンズが傘をさして空から降りてきそうな、夢の世界が残されている。
  圧倒的な我が国との文化度の違いにカルチャー・ショックを受けたが、残念ながら4時間弱の駆け足であった。ロンドンへのインター・シティに乗る間際の短い時間で、市内の“ペニィ・レイン・レコード”というレコード・ショップで買い求めたCD“イエロー・サブ・マリーン”がただ一つの土産である。
  まだまだ時間はたっぷりある、この次は女房と二人で心ゆくまでリバプールを楽しみたい。



追伸) 最近、日本の“姫神”というグループに夢中です。世界中の民族楽器の音色を使った不思議な サウンドを聞かせてくれます。仕事に疲れた時、心がはやりすぎて静めたい時、色々な精神状 態を不思議に癒し、平穏な世界を与えてくれます。だまされたと思って、一度お聞きください。 “風の縄文”がお勧めです。




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